2020年10月24日

父を見送って

10月24日(土)
村田孝高です。

長らくご無沙汰をいたしました。
実は、今月の初めに、広島在住の父親が77歳で亡くなりました。
理代子さんとの京都旅行を取りやめにして、すぐに車で実家に駆けつけ、父親を見送る手続きのあれこれを、滞りなく済ませて、熱海に戻って参りました。

骨董好きで、財産のほとんどを自分の趣味に費やした父親は、決して狭くはない実家の、まあまあ立派な部屋を、幾つも趣味の品で占領しており、それらを、駆けつけてくれた兄貴や甥と一緒に片付けて、せめて仏壇をおく一部屋だけでも、人を通せるように空ける作業に、精根尽き果てました。
何とか空けてみると、まあ、こんなに立派な和室があったんかいな!と、驚かされました。窓の向こうには坪庭までありました。
2020.10.10うちではないけど広島の和室
まだまだ、片付けるべき部屋は沢山あります。

何故か、喪主である兄貴に代わって、弟の私が挨拶をする羽目になり(兄貴は、理系なもので)、葬儀の当日は明け方四時まで原稿書きに追われました。

父親とは何度も会ってくださった皆さんも、また、一度もご存じない皆さんも、次の文章で、私の父親という人を知っていただければ幸甚です。

「幼少の砌よりの父を回顧いたしましたところ、私に浮かんだ言葉は『謎』の一言に尽きてしまいました。
百科事典のような頭脳、カミソリのような切れがあるかと思うと、パンダのように
何もせずボーっと寝っ転がり、漬物石のごとき様を見せます。
人命救助をして、表彰状を頂いたことを自慢したその口で、平気で『死ね!』と言ってみたり、十年間無事故無違反を誇って、そのエンブレムを付けた車で大事故を起こしたり、ズボンをはかず、ステテコのまま出社したり、テレビのリモコンを握りしめ『電話がつながらない!』と、顔を真っ赤にして家族に当たり散らしたり等、奇怪な行動は枚挙にいとまがありません。・・・
しかし、どこへ行っても人の輪を作り、人の話を聞き、その人となりを認め褒めることのできる人でもありました。情に篤く、困っている人に手を差し伸べることを躊躇しませんでした。‥‥故人は、好きなことだけを好きに行うことが出来た、幸せな人間でした。」

こんな父親を、ずっと介護してきた母親には、感謝の言葉以外ありません。
広い家に、羊のように太ったベルギー・シェパードと一人残された母親の手伝いに、これから兄と交代で毎月広島に出かけることになると思います。
まだ色々と残された相続や、四十九日の法要、納骨などがあり、あのまま広島に残っても良かったのですが、12月5日の小田原オペラ『魔笛』の稽古も始まっているので、ひとまずこちらに戻って参りました。
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小田原オペラ、感染対策で座席数を減らしている都合もあり、私の方には、10枚ばかりのチケットしかありませんので、この度はチラシを、静岡在住の方だけにお送りしています。
後援会員の皆様には、後援会だよりvol.11もお送りし始めています。
少しずつ、日常を取り戻していかねば。
posted by riyoko at 17:14| Comment(0) | 日記

2020年10月17日

寒いですね

10月17日(土)
池田理代子です。

今日は、この秋一番の寒さだそうです。
寒さで目が覚めました。
外は冷たそうな雨。
この雨の中を、日本オープンゴルフをやっています。
若手の学生たちが上位に来ていて、いよいよ世代交代の感があります。

私も昔はゴルフを少々嗜んでいました。
大学時代(筑波大)、体育の授業でゴルフというのがあって、何にしろスポーツ音痴の私は、止まっている球なら何とかなるのじゃないかと思って、ゴルフを取りました。
女子は私一人だけだったので、先輩方が、それはそれは入れ代わり立ち代わり丁寧に教えてくださいました。
お陰で、社会人になってからコースに出ても、ちょっとばかりましなスコアでした(勿論、レベルは全然違いますが)。
羽佐間道夫さんのゴルフ番組でテレビに出たこともあります。

その後、ハワイでの収録にも声をかけていただきましたが、海外にまで行ってやるほどの根性もなかったので、お断りしてしまいました。

女性実業家の先輩方にも誘っていただき、時々コースに出ていましたが、そういう時に限って、結構いいショットが出てしまったりして、「あんまり上手くなると、友達失うわよ」と耳元でささやかれ、そういう忖度をして生きてきたことがなかった私は、びっくりして、それっきりゴルフはやめてしまいました。

何てことはない、一番の原因は、朝早起きしなくてはならないので、それが辛かっただけとも言えます。

最初の大学でゴルフを取っていた最大のメリットは、後年、音楽大学に入ってから、体育の単位を免除されたことでした!

13日、京都女子大学で、河野裕子短歌賞の選考会が開かれました。
いつもの、マスクにフェイスシールドという完全防備ででかけました。
フェイスマスク.jpg
俵万智さんは、息子さんが学校の寮に入っている関係上、コロナ感染を避けてリモートでの会議参加でした。

私も、色々リモートでの出演など打診されますが、「何もできません」と、すべてお断りしてきましたが、ぼちぼちこれからは覚えなくてはいけないのかな・・・と考え込んだりしています。

自粛生活のいいところは、お化粧も着替えもしなくていいことです。
安穏と楽に暮らしていて、今回初めて、タクシーや新幹線に乗りましたが、驚いたことに切符の買い方ひとつに戸惑ってしまいました。
お化粧の手順さえ戸惑うことばかりでした。
どうも、外を歩くこともなかったので、だいぶ足腰が弱っているような気もしました。
怖がってばかりいないで、少し外に出なくてはいけないのでしょうか。
世界各国で、コロナ感染を恐れて高齢者を閉じ込める政策を取っていますが、そう言った高齢者の認知症や鬱病、足腰の機能低下が問題になっていますね。

すっかり冬の気配ですが、つい先日の中秋の名月の際には、静岡名産安倍川もちで綺麗な月を撮ったことが懐かしいです。
2020.10.1中秋の名月と安倍川もち
posted by riyoko at 15:13| Comment(1) | 日記

2020年10月10日

シリア難民のこと

10月10日(土)
池田理代子です。

台風が近づいていて、海が大きくうねっています。
ついこの間の朝、素晴らしい朝焼けを見せてくれた海とは、想像もつかない激しく轟く海です。
2020.10.05絵のような朝焼け

2020.10.05朝焼けA
大雨に備えて何かしなくてはいけないかも。

学術会議の件で、知的世界も荒れていますね。

安倍さんに代わって菅さんという人が総理になったとき、彼が、東北の農家の生まれだと盛んに喧伝していたのを聞いて、親しみを覚えた人も多かったことと思います。
東北から上京し、苦労して働きながら大学に行き、議員になって、ようやくあの年で総理の座にまで上り詰めた人に、「この人なら、お坊ちゃまの安倍さんや麻生さんと違って、庶民の苦しみや悲しみを分かってくれる」と期待した人も多かったのでは。
或いは、このようにして下から苦労して這い上がった人は、情け容赦なく自分にたてつく者やライバルを切り捨てていく、冷たい人かもしれないと、危惧した人もあったかも。

果たして菅総理というのは、どちらの人なのでしょう。

「基礎疾患のある高齢者」である私は、ここのところ買い物もままならないので、あまり手の込んだ料理も作れず、割安になっているお取り寄せや冷凍食品などでごまかすことも多かったのですが、先日は、村田がスーパーで、マグロなど、いい食材を手に入れて来てくれたので、ちょっと納得のいく夕飯にすることが出来ました。
2020.9.30ラムチョップとアボカドマグロ
ラムチョップと、マグロとアボカドのサラダです。

シリア難民の方たちが、このコロナ禍で、仕事も食糧支援もなくなって、ひどく悲惨な状況に置かれています。
こういう時、どちらかと言うと女性の方が圧倒的に強く、男性は、多く心を病み、家族に暴力を振るい始めるそうです。
或いは、飢えている家族のいることが耐えられず、焼身自殺までしてしまう男性も出ています。
私も現状、実は決してゆとりのある状態ではないのですが、この人たちのために、ささやかでも何かしなくてはと考えています。

でも、遠いレバノンにいるシリア難民より、今現に日本で仕事がなくなり飢えている人たちの方に、少しでもお役に立つことを考えるべきでは・・・などと、迷ったりしています。
個人の力は本当にささやかです。
でも、何か少しでもできることはないかと考えずにはいられません。

Go toで、高級な旅館やホテルなどに泊まれる余裕のある方、その中から、500円でも1,000円でもほんの少しでいいですから、住むところを失ったり明日の食事にも困っている同胞に、手を差し伸べてくださいませんか。
私も一生懸命考えます。
posted by riyoko at 16:33| Comment(0) | 日記

2020年09月29日

ああ、富士の山

9月29日(火)
池田理代子です。

すっかり涼しくなり、私とぷには、もう暖房を入れて暮らし、村田は下着姿で逃げ回っています。

相撲、終わってしまいました。
佐渡が嶽部屋の皆さん、頑張りましたが、怪我を押して土俵に上がり、負け越した琴奨菊関のことが心配です。
コロナ禍で、千秋楽パーティもずっと中止となっており、親方や琴勇輝関とメールのやり取りをする以外に、ご連絡を取る方法とてなく、寂しい限りです。
でも、正代関の初優勝、素晴らしかったですね。
私達も以前、震災直後に熊本に伺いましたが、熊本から初めての優勝力士、地元の方々はどんなにか勇気づけられたことでしょう。

十月には、『河野裕子賞』の最終審査のために、京都に行かねばなりません。
何か月ぶりの遠出でしょうか。
まだ新幹線に乗る勇気がないので、村田が車で京都まで送ってくれるそうです。
永田和宏先生や俵万智さんなどにお会いできるのが楽しみです。

私自身の初めての歌集も、ようやく色々とまとまって来て、11月の末ごろには出版の運びとなりそうです。
今は、本の装丁を選んだりなどしています。
2020.9.23歌集表紙
中学生時代から短歌を描き続けて、死ぬ前に、何とかまとまった歌集にしたかったので、本当に嬉しいです。
この度、自分の歌集のために歌を選んでいて、自分の才能のなさに打ちひしがれ、本の形で発表できる歌など思いのほか少ないことを、現実として悟り、愕然としています。
それでも、「これを出さねば死ぬに死ねない」という気持ちで、遺言を残すという気持ちで歌を選びました。
河野裕子さんのご夫君・永田和宏先生が、巻末に解説を書いてくださるのも、望外の喜びです。

今はコロナ感染が怖いので、どこへ出かけるにも、公共交通機関は一切使わず、村田の運転で連れて行ってもらっています。
本当に有り難いことです。

先日、山の上のソーセージ屋に行ったとき、結構雨が降っていたにもかかわらず、思いもかけず富士山を見ることが出来ました。
雨と霧ですべてがかすんでいる中に、くっきり浮かんだ富士山は、素晴らしかったです。
2020.9.23雨の中の富士山
75年前、戦争が終わって、南方で捕虜になっていた父が復員船で日本に帰って来た時、それまで船底に押し込められていた捕虜たちを、アメリカ軍が「デッキに出るように」と言って出してくれたそうです。
捕虜たちは皆、自分たちがどこに送られているのかも知らされていなかったので、「いよいよデッキで殺されるのか」と覚悟を決めたそうですが、なんと彼らの目の前に、美しく雄大な富士の姿があって、みんな男泣きに泣いたということです。
富士山を見るたびに、父から聞いたこの話を思い出します。

戦後のドキュメンタリーなどでも、多くの生き残りの兵士たちが、この「富士山」の話をされています。
富士山は、やはり日本人にとって特別な山なのですね。

posted by riyoko at 16:26| Comment(2) | 日記