2018年12月05日

2018年12月の日記

12月31日(?)
村田孝高と池田理代子です。
花に囲まれた大晦日です。
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このブログを訪ねてくださる皆さま、一年間有難うございました。
来年から、とうとう平成ではない新しい元号になりますね。
幾度かお会いした、現天皇皇后両陛下、これからはお二人で静かで穏やかな日々を睦まじくお過ごしいただきたいものです。

殊に、美智子皇后さまが、目の前で、目の見えない方たちにご自分から近づいて手をお取りになり、「美智子でございます」と仰っていたお姿が、平成のもっとも印象的なお姿として、心に残っています。

今年は本当に忙しいイベントが続き、とうとうお正月の支度の大掃除や買い物は村田一人でこなす羽目になりました。
池田理代子は、一月初めの締め切りの原稿に、まだうんうんうなっています。
ぷには、一人さぼって、ひたすらに寝ています。
夜の間一緒に寝た挙句、昼もこうして寝ています。
こんなに良く寝る猫は初めてです。
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この寒い師走の晦日にもかかわらず、いつもより大勢の釣り人が岩にへばりついています。
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熱海で迎える二度目の新年が、どうぞ良い年でありますように。
そうそう、池田理代子は来年は年女です。

年明けから、プライベートコンサートや、2月11日には広島で『仮面舞踏会』のレナート役、二月16,17日には再び『蝶々夫人とスズキ』の舞台、そして三月五日には、合唱の皆さんが長いこと頑張って練習に励んでこられたロッシーニの『荘厳ミサ曲』の演奏会が、ロッシーニ歌劇場管弦楽団をお迎えしバチカンから枢機卿をお迎えして、サントリーホールで開催されます。
村田孝高は、バリトンのソロを務めさせていただきます。
池田理代子は、今年三月にもバチカンで献歌させて頂いたヴィヴァルディの『ニシ・ドミヌス』を歌わせて頂きます。
テレビ放送もされる予定ですので、是非皆さんこの日は空けておいてください。

また、6月7日には、村田孝高にとって二年に一度の最大のイベント『村田孝高バリトンリサイタル』が、東京・銀座の王子ホールにて開催されます。
今回はソプラノゲストとして羽山弘子さんをお迎えし、華やかに『トスカ』の抜粋で締めくくる予定です。

このブログと共に、今年も、『村田孝高後援会』を盛り上げてくださいますよう、よろしくお願いいたします。

来る年が、すべての皆様にとって穏やかで幸せな一年となりますよう、二人で心からお祈りしております。





12月26日(水)
村田孝高です。

ABC主催の恒例のクリスマス・ディナーコンサートを終えると、毎年23日には、私の後援会長・森田一先生宅でのプライベートなクリスマス音楽会です。
小さなお子さんから、熟女たちまで、プロ、アマを問わず演奏します。
ピアノあり、ヴァイオリンあり、チェロあり、オカリナあり、ウクレレ合奏あり、フルートあり。
中國の剣舞世界チャンピオンという方の剣舞披露もありました。
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森田一先生は、昨年からチェロを辞めて歌をご披露なさいました。
お歳とは到底思えないしっかりしたお声に、みんな驚かされます。
今年は『青い山脈』を、お嬢さんたちとともに歌われました。
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国民民主党党首・玉木雄一郎さんも、皇居での天皇誕生日のお祝いの宴後にご夫妻で駆けつけ、ご挨拶されました。
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最後は理代子さんの『水色のワルツ』と私の『What's a wonderful world』などと、飯坂純さんのピアノ独奏で締めくくりです。
今年は久しぶりにベートーヴェンの『Ich liebe Dich』も歌ったのですが、歌い始めてすぐに、はっと気が付きました。
お客様の中には、ドイツ人の方もいらっしゃるのです。
いやいや、冷や汗をかきましたが、「グー!」を頂きほっとしました。
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その夜は二人で東京のホテルに泊まって、翌日は、元宝塚のトップ娘役・大原ますみさんの、ディナーショウに伺う予定でした。
ところが、「熱海を出るときに、ぷにの様子がおかしかった、元気がなくて心配だ」と理代子さんがひどく気をもんで、一旦熱海に帰って様子を見たいと言い出しました。で、ホテルには私一人で泊まって、理代子さんは夜熱海にいったん帰りました。
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ぷにすけは、理代子さんが帰ってきたのを見て、ぴょんぴょん飛び跳ねていたそうです。
ここのところ外での仕事で外泊が続いたので、寂しくて拗ねていたのだろうと思われます。ま、甘やかしすぎですね。
何しろ、普段でも、お風呂に出かける間も後を追って、玄関先でじっと待っているくらいですから。

翌日熱海から再び上京した理代子さんと合流して、無事に、大原さんのディナーショウに。
いやー、凄い数のお客様でした。
しかもずっとお一人で歌われ、途中客席におりて、歌いながら一人一人と握手して回られるプロ根性、サービス精神に、脱帽です。
宝塚版ベルサイユのばら『愛あればこそ』では、私もマイクを向けられ、世にも珍しいバリトンでの「ああー、愛あれーばこそー」と謳わせて頂きました。
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何と言っても、大原ますみさんのお人柄の良さ、可愛らしさが全開のショウで、一年分たっぷりと心を癒されました。
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帰りの東京駅の雑踏で、「この間のセルリアンのロッシーニディナーに伺いました」と、声をかけて下さった方がありました。
ま、この顔つきでこの体格で、しかもタキシードのまま歩いているのですから、気づかれても当然ですね。

昨日のクリスマスは、ようやく見つけた地元熱海のカトリック教会に、理代子さんに付き合ってミサに行ってきました。
理代子さんが20年前に洗礼を受けた、四谷のイグナツィオ教会や、今年三月に歌わせて頂いたバチカンの教会とは全く趣の異なる、家族的で温かい雰囲気の中、ミサの後のパーティにまで参加して、色々とご馳走を頂いてしまいました。
理代子さんは、皆さんのリクエストに応えて、グノーの『アヴェ・マリア』を歌いました。

これで今年のイベントはすべて終了、私はこれから東京に、車のタイヤを冬タイヤに履き替えに行き、理代子さんは来年頭に締め切りが迫っている、映画のためのちょっとした大仕事にかかります。
こんなんで新年の準備はできるのかな。





12月22日(土)
池田理代子です。

20日のABCクリスマスディナー・コンサートを終えて、昨日熱海に戻って参りました。
今年から初参加のハンドフルートの高山君の、文字通りの超絶技巧に、皆さん大変な驚きを感じていらっしゃいました。
まだ25歳の、前途洋々たる若者のこれからの活躍が楽しみです。
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毎年この日ばかりは、背中をシャキッと伸ばして頑張らねば・・・と、自分に気合を入れていますが、いつも来てくださっている親しい方々が、一人また一人と鬼籍に入られるのを実感する日でもあります。
でも、若々しい方々が美しくお洒落してきてくださるのを拝見できるのも、楽しみです。
来年も頑張れるかな・・・?
来年は、懐かしく美しい映画音楽の数々を、三人のバリトンとのハーモニーでお届けする予定です。
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エルヴィス・メドレー、特に「監獄ロック」に皆さんノリノリでした。
歌う方もノリノリで、大変な盛り上がりとなりました。
エルヴィスが大好きで、世界のあちこちに追っかけをなさっていた、私のフラダンスの先生、御子柴美智子先生の顔が浮かびました。
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おいで下さった皆様、本当に本当に有難うございました!!
また来年、きっとお会いしましょうね。



12月18日(火)
村田孝高です。

今日は理代子さんの???回目の誕生日。
この時期、あれやこれやと忙しいことが多く、毎年、ファンの方やお知り合いなどからプレゼントが届いて、初めて気が付くみたいです。
知り合った当初は、60歳と35歳の年の差はr少し大きかったですが、71歳と46歳(来月ですけどね)となると、その差は縮まってきます。
何というか、「わしも立派な中年のおっさんじゃ!」という感じで、この頃ではよく「態度がでかい」と言われます。
これで理代子さんが80歳になったら私は55歳。
ただの老人夫婦です。
90歳まで生きてくれたら私は65歳、老々介護の人生に突入です。
100歳まで生きられた日には、私の方が先に逝きそうな気がします。

理代子さんがロシアから自分のために買ってきたものといえば、凍るような寒さに命の危険を感じて買った帽子と、何冊かの本と、それからこれ!!
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日本でもプーチンカレンダーが人気ナンバーワンだそうですが、土産物屋でも、沢山のプーチンの写真入りグッズがあって、何というか、絵になるというか記念になるというか、自分大好きプーチンさんなんだな・・・と思わせられます。
将来政権交代することがあったら、こうしたグッズもどどっと捨てられてしまうのでしょうかね。

12月20日のABCクリスマスディナー・コンサート、満席になりました。
有難うございます。
『エルヴィス・メドレー』は、思ったより難しく、バリトン三人は結構青ざめています。
理代子さんは「歌える所だけ歌う」と、偉そうにしています。
明日もリハーサルです。




12月14日(金)
池田理代子です。

12日は、クリスマスディナーショウの合わせ、翌13日は先生に来て頂いての通常レッスンでした。
掛川のディナーコンサートから戻ったばかりで、相当に喉をやられているところに、本当は今日は、来年二月の『蝶々夫人とスズキ』の稽古が東京である予定でした。
こりゃあだめだなあ・・・と思っているところに、演出家さんなどの都合で稽古が取りになりました。
これから暫くは、20日の『エルヴィスを楽しむコンサート』の稽古に専念できます。
ハンドフルートの高山君が、とても真面目でクイック・レスポンスで、色々と準備がしやすいです。

さて、もうそろそろロシア講演旅行シリーズも終わりにせねば。
モスクワに移動しての一回目の講演会、とても立派な大ホールで、そのままコンサートもやれてしまうかのような素敵な会場でした。
講演終了後、残っていた皆さんにお願いして、舞台の上から記念写真を撮らせて頂きました。
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モスクワ二回目のホールは、さまざまなノン・フィクションの講演が行われる会場で、私の直前に講演されたのは、ドイツ人でCGの大家です。
さまざまな植物や動物の描き方など、隅っこで待機しながら拝聴していて、とても興味がありました。
何より嬉しかったのは、その方が講義を終えられた後、私の既にさび付いたドイツ語で色々とお話ができたことです。
ああ、またドイツで勉強がしたくなりました。
私の講演の最後には、サプライズで、コスプレをしたファンクラブの方たちが登場、会場はどよめきました。
「どうやってドアを通れたの?」と思わず聞いてしまったほどのアントワネットさまのドレスで、とにかく、美しいこと!!
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彼女たちから、ファンクラブの活動を納めたフォトブックを頂きましたが、背景と言い顔立ちと言い「ずるいよー」といいたくなる素晴らしい世界が広がっていました。
皆さん、本当に有難う!!
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さて、ユスーポフ・パレスの他に、私が森家さんたちをどうしてもお連れしたかったのは、「トレチャコフ美術館」です。
ここはもともとプライベート美術館でしたが、今では国立になっています。
この美術館には、私の大好きな、そして多くのインスピレーションを受けた画家レーピンの作品が数多く所蔵されています。
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この日はモスクワは雪で、また、美術館の入り口には多くの人たちの長い行列ができていました。
入れるまでに何時間かかったでしょうか。
正面入り口にトレチャコフの銅像があるのですが、述語を大幅に省略する癖のある森家さんと私とのとぼけた会話。
森家「ねえねえ、これは像でしょ?」
池田「No,this is not an elephant」(大爆笑〉
やっと中に入れて、レーピンと出会えた時の感動は、いつも新しいものがあります。
歴史の一コマを冷徹に切り出す彼の天才に、私はどれほどのインスピレーションを受けたことでしょうか。

ことに、有名な『ヴォルガの船曳』や『予期せぬ帰還』などは、『オルフェウスの窓』第三部のロシア革命を描くうえでの、直接的な契機となった作品です。
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帰国の日の空港に向かう途中にあるウクライナ料理店で、最後のお食事を楽しみました。
もう写真掲載の容量がいっぱいになってしまったので、やっぱりもう一回伸ばさなくてはダメみたいです。





12月12日(水)
村田孝高です。

10日、掛川グランドホテルでの『セヴィリアの理髪師』公演を終えて、昨日熱海に戻って参りました。
で、今日は、容赦なく20日のABCクリスマス・ディナーコンサートの合わせでした。
くたびれましたが、エルヴィス・プレスリー・メドレー、楽しかったです。

掛川は、主催者・榛葉昌寛さんの地元だけあって、後援会の方々の盛り上がりがすごく、出演者も顔負けのノリノリの客席でした。
ベルタの理代子さんも、びっくりしながらも結構乗せられて客席を駆けずり回っていました。
フィガロの私も、ちょっと調子に乗り、気分よく歌わせて頂きました。
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理代子さんの演出で、榛葉さんのアルマヴィーヴァ伯爵が、歌舞伎調に名乗りを上げて、「いよっ、日本一」「榛葉屋!」と掛け声を受けていました。
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終演後は、後援会の重鎮の方々が出演者のための食事会を開いてくださり、久しぶりにビールや掛川の銘酒「開運」をしこたま頂きました。

モスクワのユスーポフ・パレスに行った折に、邸宅の裏側に、理代子さんがこんな楽譜屋を見つけたそうです。
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で、私のために、ショスタコーヴィッチの歌曲集を見つけてくれました。
もちろん詩はロシア語なのですが、何と素晴らしいことに、ロシア語の下に読み方がついているんです。
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え・・・、これって、来年のリサイタルまでに勉強しろということかな。

二人で結構疲れ切って、温泉に行く元気さえなく、寝てばかりいます。
ぷにも一緒に、親子三人で寝室にこもっている感じです。
荷持もまだ全然片付きません。




12月9日(日)
池田理代子です。

今回のロシア旅行、私は講演の仕事でしたので、体調などを考えたり打ち合わせの時間の都合上、同行の森家さんご夫妻とはほとんど観光はご一緒できませんでした。

サンクト・ペテルブルクの総領事館主催の食事会やモスクワでの国際交流基金ロシア所長主催の食事会、それにあらかじめチケットを取って頂いていたオペラ『マクベス』とバレエ『ライモンダ』の他には、私が是非お勧めしたい数か所だけをご一緒させて頂いたのですが、その数少ない数か所のうちの一つが、サンクト・ペテルブルクにあるユスーポフ邸の見学でした。

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『オルフェウスの窓』で、私がレオニード・ユスーポフとして登場させたこの人は、本当はフェリックス・ユスーポフという実在の大貴族で、ロシア革命直前に、あの怪僧と言われたラスプーチンを暗殺したことで知られた人物です。
はるか昔、ピョートル大帝の時代に、タタールからロシア正教に帰依してロシア宮廷につかえ、大貴族となったユスーポフの屋敷は、プライベート劇場まで併せ持つ広大なもので、地下室には、ラスプーチンを暗殺するフェリックス・ユスーポフたちの蝋人形も展示されています。
エルミタージュの見学をする人は多くても、その昔、女帝エカテリーナの命によってこんにちの美術館の基となる多くの名画や『ラファエロの回廊』などが、このユスーポフ家の人物によって集められたということを知る人は多くはありません。
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夫人が、皇帝の姪で美人で評判だったということも事実で、ラスプーチンは、美貌の彼女におびき出されて暗殺の現場に呼び寄せられました。
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毒を盛っても、ピストルで撃っても死なず、最後は剣で刺され毛布にくるまれてネヴァ河に投げ込まれますが、それでもまだ息があり、結局死因は溺死だったということですから、ものすごく生命力の強い怪僧だったのでしょう。

私の作品の中では、ユスーポフ候は革命勃発と同時に軍人として自害してしまいますが、実在のフェリックス・ユスーポフと夫人イリーナは、幾つかの所蔵名画をもってイギリスに亡命を果たし、かの地で、ファッションブランドを立ち上げ成功したそうです。

当時多くのロシア人亡命貴族の女性たちが、イギリスやフランスで、ファッションの分野で活躍しました。
北国の貴族女性の美しさに、ヨーロッパの人々が強く惹かれたのでしょう。

フェリックス・ユスーポフは、1970年代まで生き延び、生を全うしました。
その死亡記事は、新聞で私も目にしたことがあります。

そんな歴史を味わってもらいたかったのですが、慌ただしい見学の中で果たしてどれほど伝えることが出来たでしょうか。
『オルフェウスの窓』の読者の皆様にも、もしもロシアに行かれる機会があったら、ここは是非訪れてほしい場所の一つです。

明日は、静岡県掛川のグランドホテルで、先日東急セルリアンタワーで行った『セヴィリアの理髪師』と同じディナーショウがあり、今晩から向こうに入ります。




12月6日(木)
池田理代子です。

少し時差ボケなのか、変な時間に寝たり起きたりしながら、荷物の片づけをゆっくりぼちぼちとやっています。
ぷにちゃんが、面白がってお土産物の袋に入って遊んでいます。
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帰国して久しぶりに見たテレビのNHKEテレで、偶然にロシア語講座をやっていて、それも、私がサンクトペテルブルクで泊まっていたホテルのすぐそばにあったプーシキンの屋敷を博物館に公開している場所がそのままだったので、何だかデジャヴのような感じに捉われてしまうほどでした。
一人で歩いていて偶然見つけた場所でした。
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僅か37歳で、美しい妻をめぐるいざこざがもとでピストルでの決闘によって亡くなった、このロシアの天才的文豪の暮らしていた部屋が、そのまま公開されていました。
英語の音声ガイドを借りて回ってみました。
決闘のその時に使われたピストルが展示されていて、生々しさにちょっと立ちすくみました。

子供たちの可愛らしい部屋もそのままに残されていました。
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ロシア社交界一の美人と謳われた夫人の居間。
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決闘の後運ばれてきて、この書斎のこのソファで、医師がプーシキンの死を確認したそうです。
英語の音声ガイドは、「こうしてロシアは、プーシキンを失ってしまった・・・」と重々しく終わっていました。
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詩のみならず『エウゲニー・オネーギン』など、有名なオペラの原作をはじめ、『スペードの女王』などの名作の数々を残したプーシキンですが、もっともっと長生きしていたら、どれだけ多くの作品を作り続けてくれたことでしょうか。

時々起きて昼寝して、みたいな生活をしているうちに、少しずつ体の痛みもほぐれてきました。
ベランダから望む向うの山々が、すっかり紅葉していて美しく、今熱海は紅葉の真っ盛りのようです。
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明日は早速に二件ほどのインタビューの仕事が待っています。




2018年12月5日(水)
池田理代子です。

大変ご無沙汰いたしましたが、国際交流基金の主催によるロシアでの講演から、昨日無事に帰国いたしました。
向こうでは13日間の間に、サンクト・ペテルブルクで一回、モスクワで二回と、合計三回の講演会を何とか気合でこなしてまいりました。

帰ってきたら、ぷにちゃんが案の定すねすねモードでしたが、私にだっこされると両手で私のほっぺたを挟み、舐めなめしてくれました。
この子を拾ってきて二年、こんなことは初めてだったので、「寂しかったんだろうな」と涙が出ました。
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留守の間通って来てくれていた山口さんが、とてもこまめに「今日のぷにちゃん」の写真を送ってくれていたので、むこうにいても安心していたのですが、帰ってきて実際にだっこすると、猫の手触りに疲れも癒される思いでした。

サンクト・ペテルブルクの講演会場は、元貴族のお屋敷だったという、古い豪華な中央図書館の建物で、会場は申し込み予約の人数以上の方が来てくださり、熱気にあふれた楽しい会となりました。
同行の森家さんご夫妻とも記念写真です。
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この中央図書館に展示されていた子供たちの作品がとても素晴らしくて、思わず写真を撮らせて頂きました。
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40年以上前に初めてソビエト連邦時代のロシアを訪れ、その後も『オルフェウスの窓』や『女帝エカテリーナ』などの取材でしばしば訪れましたが、こういう形で向こうにお招きされて行くのは初めての経験でした。
何より、私の作品は『ベルサイユのばら』を含めて、まだロシア語では出版されていないのに、こうして大勢のファンの方々が迎えてくださったのが驚きでした。

初めて向うに行った頃に見た、街の運河にかかる橋の美しい手すりに、懐かしさもひとしおでした。
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古い公衆電話もまだありました。
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それから、モイカ運河沿いのプーシキンが通ったという『文学カフェ』も。
なんと、店のウインドウには中国語の文字が追加されていました。
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追々、写真の整理をして、何回かに分けてゆっくりご紹介させて頂きますが、まずは無事に帰国のご報告まで。
帰って来た日は日本は異常な暑さで、向こうのマイナス15℃の世界からの落差に、体が吃驚していました。
posted by riyoko at 12:10| Comment(0) | 日記