12月8日(木)
村田孝高です。
慌ただしく師走となりました。
今年一番の自分にとってのトピックスは、何と言っても、理代子さんが下りエスカレーターであおむけに転んで、頭を強く打ったことです。
それなのに、あれから程ないついこの間、何とまたまた、転んで後頭部を打ち右手の骨を怪我したりあちこち打って、よろよろしています。
身の回りは危険がいっぱいなのだということを、しっかり認識させてもらいました。
昨年は、私の敬愛する人間国宝・中村吉右衛門さんがみまかられ、大変なショックを受けました。
今年、その吉右衛門さんを偲ぶ会がホテルオークラでしめやかに行われ、理代子さんと二人で行ってまいりました。
奥様の知沙さんと、少しお話ができて、自分の中でいくらか気持ちの整理の付くものがありました。
吉右衛門さんを失った歌舞伎界が、今後どうなっていくのか、何よりも自分が、歌舞伎への興味を失っていくのではないかと気持ちが沈みます。
そんな中、赤坂迎賓館での岸田総理主催の夕食会でのコンサート、何とか無事に終えることができました。
ピアノ伴奏に、岡崎ゆみさんをお願いしての贅沢なコンサートでした。
しかし、やっぱり理代子さんが一緒なので、決して無事にとはいきませんでした。
何と何と、ドレスの背中のファスナーがバンッと見事に壊れてしまい、安全ピンでとめようと格闘するもうまくいかず、汗だくで焦りました。
「大丈夫よ、上からショール羽織るから」と、本人はいたって暢気にしていましたが、係の人から「背中空いていますよ」と指摘されていました。
まったく、どこへいっても必ず何かやらかしてくれる人です。
たしかに正面からは、背中が開いているのは見えませんが・・・。
最後に、岸田総理と短い時間でしたが広島の話ができて、午後三時に迎賓館に到着してから長い長い一日が終わったのは、夜の十時近くでした。
総理秘書官の森まさこ氏が、理代子さんの歌に感激して、「47歳から音大に行かれても、あそこまで歌えるようになるのね。世の女性たちの励みになります」と、まじめに目を潤ませておられました。
12月に入り、そろそろ家の中の整理もしなくてはなりませんが、私は18日、19日と二つの舞台を抱えていて、それに怪我人の理代子さんも抱えていて、稽古にもいかねばならないし、気持ちが落ち着きません。
和光での『秩父晩鐘』、遠いところにもかかわらず、チケットのお申し込みをくださった方たちもあり、本当に有り難く、心から感謝申し上げます。
私の出番は本当に少しなので、申し訳ない思いでいっぱいですが、秩父事件のことに少しでも関心を持っていただければ、大変嬉しいことです。
昨年フィンランドで、初演オペラ『眠る男』に出演いたしましたが、作曲者のエートゥ君から、「自宅の庭に雪が積もりました」と、写真が送られてきました。
この季節、日本からはオーロラを見に行く人が多いみたいです。