2023年04月19日

無事ではなかったけど終わりました!!

4月19日(水)
池田理代子です。

昨年の10月ごろから、合唱団員の募集を始めた『第十回バチカンより日本へ』の公演、終了いたしました。
森家さんが中心となって、昔の『真夏の第九』のメンバーたちに声をかけて下さったのですが、今年は例年にも増して多くのお申し込みがありました。
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また、前半の第一部に、私が脚本を書いて薮田翔一さんが作曲をしてくださった『女王卑弥呼』の抜粋が演奏されるなど、私にとっては本当に思い出に残る舞台となりました。

思えば遡ること20数年、歌舞伎俳優の中村福助さんからの発案で、福岡アクロスでの上演となる予定のオペラでした。
ただ、あまりにグランドオペラであり、予算的に無理ということでいったん話は立ち消えとなり、また福助さんの御病気もあったりして、紆余曲折の末、この日まで
時間がかかってしまいました。

イタリアの作曲家に会いに行ったり、上演委員会を立ち上げて頂いたり、電通まで入ったり、色々と試行錯誤の上、ようやく若い作曲家の薮田翔一さんから、「オペラの作曲をしてみたいので、いい脚本はないでしょうか」といったお話が伝わってきて、漸く、この度の一部上演に至ることができました。

最初は福助さんが卑弥呼を演じられ、歌い手が影で歌うという趣向だったのですが、この度の卑弥呼は、東京オペラプロデュースで何回か演出もさせていただいたソプラノの江口二美さんと、私は心に決めていました。
そして、卑弥呼にお告げをする神の役は、偶然にも最近お近づきになった辰巳真理恵ちゃんの天使のようなイメージがぴったりで、本当に運命を感じさせられました。
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卑弥呼を愛してしまう敵国・狗奴国の武将、阿多の君には榛葉さん、やんちゃばかりして顰蹙を買う乱暴者の卑弥呼の弟・スサノオには村田と、ちょうど役者がそろったのも、私には運命的なものを感じられる、今回の舞台でした。
因みに、卑弥呼の衣装を縫ってくれたのは、秘書の山口さんです。

まだまだ重要な登場人物も多いのですが、これから作曲が進むごとに、折あるごとに少しずつ上演を重ね、再来年あたりには、全編を通して上演したいと思っています。
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ただ、一方で、この10年の間には、後期高齢者となり、また長いコロナもはさんで、合唱団員の中にはすっかり人間が変わってしまったり、記憶があいまいになって、訳の分からない文句を言って来たり、いったん買ったチケットを、「キャンセルできません」と書いてあるにもかかわらず、平気で突き返して来たりと言った人が増え、私と森家さんと秘書の山口は、本当に時間を取られ悩まされました。

ても、昔からの仲間たちは、皆さん気持ちよく素晴らしい舞台を作ってくださいました。
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ただ、歳月の力は残酷で、悲しいものがあることを実感させられました。

村田は、今日から静岡、仙台、陸前高田、いわきといった東北公演に旅立ちました。
posted by riyoko at 13:52| Comment(0) | 日記

2023年04月09日

バチカンから日本への準備

4月9日(日)
池田理代子です。

四月始めは、総理秘書官の森まさこさんのお招きで、奥深い東北の只見線に乗る旅に行ってきました。
3.11の大震災で、只見川の鉄橋が崩落して12年、漸く秘境只見鉄道が開通したのです。
この開通にあたっては、偶然にも村田の兄の会社も尽力しており、美しい車窓を眺めながら村田は「兄貴はこんな遠いところまで、10年も通ったんだね・・・」と、感慨深げでした。
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駅駅に、町長さんの出迎えあり、歓迎セレモニーあり、私たちのほかに、和泉元彌さんや淳子さんたちも招かれていて、関係者も含めにぎやかな車内でした。
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只見線車内.JPG
線路の向こうには、人々が歓迎の横断幕を掲げ、手を振ってくれるという、心温まる光景が。
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只見線で一番の絶景と言われる鉄橋で、撮影大会もしました。
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素晴らしい経験でしたが、唯一、「朝七時半、会津若松駅集合」というのだけが、私には辛かったです。
何しろもう50年以上、明け方まで仕事をし、お昼過ぎに起きるという人生を送ってきましたので。

村田は、行きも帰りも六時間、熱海から東北まで、往復12時間を運転して、さすがの若さだと感心しました。

さて、『バチカンから日本へ』第10回目のチャリティコンサートのために、準備が着々と進んでいます。
先日は、辰巳真理恵さんのサロンで『女王卑弥呼』の合わせをしました。
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そして七日には、卑弥呼の侍女役の我々合唱団四人の特訓が、森家さんの家のピアノをお借りしてありました。

雨と風がひどいあいにくの天気だというのに、私は、折角山口さんが私の携帯に入れておいてくれた森家さんの住所を、携帯ごと忘れていき、駅から乗ったタクシーの運転手さんが親切にも森家さんに電話してくれたにもかかわらず、何と今度は、森家さんが自宅の番地ではなくオフィスの番地を伝えてしまい、結局私は雨の中、ずぶぬれになって(傘をもってでなかったので)ずっと歩く羽目になりました。

お互い、歳を実感しました。
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posted by riyoko at 15:35| Comment(0) | 日記