1月30日(火)
池田理代子です。
日々のニュースを目にするにつけ、心が苦しくなるような戦争や災害の映像です。
我々も、いずれ他人ごとではない時がやってくるのでしょう。
東京に、いざというときのためのシェルターができるとか。
でも、入れる人は限られているんでしょ、とニュースで語っていた人がいました。
十分に自然災害だけでも苦しいのに、その上武器を取って殺しあうなどと、人間と言う動物は本当に愚かです。
滅びの日を自ら早めているとしか思えません。
そんな日々の中、私の楽しみは、大相撲とテニスです。
でも、大相撲も全豪オープンも同時に終わってしまい、「明日からどうやって生きればいいの」と言う虚脱状態です。
いや、たまっている仕事かたづけろよ!とどこかから声が聞こえてきそうですが。
虚脱状態を少しでも伸ばそうと、大相撲佐渡が嶽部屋の千秋楽パーティに、友人も誘って出かけました。
あと一歩で優勝だった琴ノ若関は、終始悔しそうな表情でした。
でも、いよいよ大関です!
小さいころからの彼を知っている身としては、我が子の晴れ姿を見るようで、涙が出るほど嬉しいです。
若女将に、大関のお披露目をやるから来てくださいね、と誘われていますが、村田の舞台と重ならないことを祈っています。
今回は、琴ノ若関の活躍もあってか、いつもに増して盛大なパーティとなりました。
鏡開きに立つ私の横には、あの水戸黄門に出ていらした伊吹五郎氏と、結婚式を間近に控えた琴恵光関が。
華やかでおめでたい雰囲気の中で、若関だけが引き締まった表情を最後まで崩しませんでした。
来場所を楽しみに待つことにします。
前後してしまいましたが、今年は、少し遅くなってからの初詣となってしまいました。いつもの近所の神社はもうお正月の仕事を終えていたので、いまだ観光客でにぎわう木宮神社の方に行き、去年の破魔矢のお炊き上げをやって頂き、ついでに、能登の被災者の方々の一日も早い復興や、来年六月の『女王卑弥呼』の上演の成功を祈願して、ご祈祷もしていただきました。
私が初めて木宮神社のことを知ったのは、中学生の時。
『母』という小説の冒頭の舞台として、大楠などが詳しく出てくるのです。
それから何十年も経って、初めて熱海を訪れ、木宮神社を訪れた時には、まだ何もない、神殿と大楠だけの静謐で裏寂れた雰囲気の神社でしたが、いつの間にかあれよあれよという間に立派な社務所やティールームや赤鳥居などが整備され、賑わいのある観光のメッカとなっていました。
私はクリスチャンですが、神社に行くと、日本に生まれたものとして、この山川草木に宿る神聖なものの存在を感じます。
これは、宗教とは全く違った次元の、自分の中の「血」のようなものです。
そう言う感じは、皆さんもきっとお感じになっているのではないでしょうか。
村田孝高は、2月12日に迫ったオペラ『たましずめ』のために、ほぼ毎日のように稽古です。
今回はチケットの割り当てが思ったより少なく、後からお申し込みの皆様には失礼をいたしました。
稽古場で、着物の襟の抜き方とか、平安時代の座り方など、村田が共演の皆さんに教えることも多々あるみたいです。
若い世代では、後鳥羽上皇や崇徳上皇などについても、あまりよく知らない人が増えているみたいで、日本史マニアの村田は、ややジェネレーションギャップを感じているようです。
村田の、怨念に満ちた後鳥羽上皇、今から見るのを楽しみにしています。
熱海では、冬の最中にまず糸川桜が咲いて、それから梅が開きます。
今糸川桜は爛漫と満開です。