5月21日(火)
池田理代子です。
各地で異常な高温が続いているみたいですが、熱海の、特に海に面した我が家では、過ごしやすい気温になっています。
海が本当に美しいです。
五月は、初めからバタバタと慌ただしい日々が続きました。
3日に村田がお知り合いのコンサートのお手伝いで歌わせていただき、一日置いて五日から、四国・丸亀のレオマワールドでのコンサートに出かけました。
前夜には、素敵な古民家のレストランでおもてなし頂きました。
村田の『セヴィリアの理髪師』からいきなり始まったコンサート、去年に続き今年も雨で、それでも多くの方が来てくださいました。
テレビでも放送され、四国新聞にも記事が載りました。
6日にコンサートを終え、そのままマリンライナーと新幹線を乗り継いで、熱海を素通りし、7日と8日一時からのオーケストラ合わせに間に合わせ、何とか無事に、9日の国際フォーラム『愛と祈りのオペラと生きる喜びの第九』に突入できました。
池田は第九合唱に、村田は前半を『女王卑弥呼』のソロを歌い、後半第九ソロに、と言う慌ただしさ。
今回は、卑弥呼侍女さんたちや阿多の君、スサノオなども、しっかりと衣裳をつけていただいて、私は、字幕のキュー出しに入り、色々と来年の本番に向けて学べることが多くありました。
第九でソプラノソロを歌われた羽山弘子さんは、来年6/5組の卑弥呼も演じてくださいます。
この日、ブライダルデザイナーで、村田孝高の後援会理事を務めて下さっていた桂由美先生もご臨席の予定だったのですが、思いもかけず急逝され、私は、ぽっかりと空いた先生の座席にバラの花を飾らせていただきました。
本当に長いお付き合いで、まだ亡くなられたことが信じられません。
村田の舞台には、後援会理事として必ずと言っていいほどご臨席くださり、よく村田の手を取って「私が死んだら『千の風になって』を、あなたの声で歌ってちょうだい」と仰っていました。
六日のレオマでのコンサートでは、そのお約束通り、『千の風になって』を二人で歌わせていただきました。
途中から涙で声が震えてしまいました。
さてさて、国際フォーラムが無事に終わった後は、京都に向かい、15日の下鴨神社の葵祭に参加させていただきました。
天皇勅使をお迎えしての儀式があるので、男性はモーニング、女性は着物という決まりで、村田は貸衣装のモーニング、私は何十年ぶりかの着物で、あたふたと大騒ぎでした。
当日は朝七時起きで着付けの方が来てくださいましたが、山口さんが縫ってくれた襦袢をはじめ、彼女の揃えてくれた小物など、着付けの方が本当に感心していらっしゃいました。
お陰で無事にセレモニーを終えることができました。
久方ぶりの着物には、身体が悲鳴を上げていました。
私が描かせていただいた御朱印の所には、何十人もの人たちが並び、写真撮影までしてくださっていて、嬉しかったです。
『女王卑弥呼』には、いいお席からお申し込みが来て、本当に有り難いことです。
皆様のお申し込みをお待ちしております。
来月六月に、村田孝高は、ピアニストの岡崎ゆみさんと、ニューヨークのカーネギーホールでリサイタルをいたします。
村田の母と甥のまあちゃんもニューヨークまで来ます。
何と言ってもリサイタル翌日に、ドジャース対ヤンキース戦というおまけまでついているのですから。
アメリカン倶楽部の総裁のボブさんが、私たちのためにチケットを確保してくださいました。
「早めに確保しておいてよかった。あれから滅茶苦茶値段が上がっている。信じられない」とのこと。
本当に人気のある球団なのですね。