6月29日(土)
池田理代子です。
25日の『ベルばら舞踏会』の、私のカメラで撮ったピンボケ写真の代わりに、主催者様側からプロの写真家が撮られた写真をお送りくださったので、そちらも載せさせていただきます。
アントワネットの肖像画入りの指輪です。

NINAS社長のルブランさんと。
この方は、ベルばらの連載が始まった1972年のお生まれなので、凄くご縁を感じてくださっているそうです。

幾らかましに映っている会場の写真です。

この度、角川出版の『短歌』という雑誌に、私の歌を七首掲載していただきました。
25日に発売になっていますので、店頭で見つけられたら是非どうぞ。

今年も「河野裕子短歌賞」の審査員を務めさせていただきます。
尻込みしていないで、自分の歌もどんどん発表して行かねばと思っています。
中学生の時から始めた短歌、これからは自分の遺言となるでしょうから、ゆっくりしたペースでも歌を詠んでいきたいです。
本当は、はやく一冊の歌集にして死ぬまでに遺したいのですが、とにかく遅筆で焦っています。
6月27日(木)
池田理代子です。
初めての台風が近づきつつあるということで、涼しい海風が吹きつつも、大変ムシムシしています。
昨夜は、赤潮が蛍のように光って、いつまでも見飽きない饗宴を繰り広げてくれました。
25日の東京・学士会館でのNINASのイベント、現地到着してみたらすでに、「ここはベルサイユか!?」というような華やかな格好をした紳士淑女であふれかえっていて、思わずしり込みしてしまうくらいでした。



入り口のディスプレーも、華やかです。

NINASが、この度サザビーズでン十億円で落札したという、アントワネットの肖像画をダイヤモンドで取り囲んだ豪華な指輪も紹介されました。
これをアントワネットから下賜された家系の方が、やっとオークションに出して手放したというもので、世界初お目見えだそうです。

私の指に嵌めさせていただきましたが、何とすっぽりと薬指にハマりました。

指輪もですが、私は、湯山玲子さんのドレス姿にびっくりしました。
いつものボーイッシュな彼女のイメージががらりと変わって、ヴァト—襞の重厚なドレスに華やかなお化粧がお似合いでした。
私は、何年か前のベルサイユのマリー・アントワネットのオペラ劇場でのコンサートで着たピンクのドレスを着ました。
そう言えば、あの時のコンサートは、大使館や外務省関係者、およびヴェルサイユ市のVIPと私の友人たちという限られた人たちだけをご招待しての特別なコンサートでしたが、この間何気なくネットを見たら、あのコンサートに行っているはずのない日本人が、会場はガラガラだった」というような、まるで見てきたような嘘や中傷誹謗ばかり書いているのがあって、驚きました。
コンサート後のトリアノンでのパーティは向こうのテレビ局も入り、溢れんばかりの人でしたし、第一、日本人は、私がご招待したお知り合い以外は入れないコンサートでした。
匿名で嘘がまかり通るネット社会の恐ろしさを始めて痛感した瞬間でした。
横広がりのパニエは、腰にすべての重みがかかって大変なのですが、昔の人はこれで踊ったり歌ったりして暮らしていて、さぞかし大変だったことでしょう。
で、私がどうして呼ばれたのかというと、1600年代から創業のNINASのRoyal Innovation Awardsの第一回の受賞者ということでした。
素適な真珠のネックレスと、副賞としてNINASの紅茶やジャムをいっぱい頂きました。
旅行鞄くらいあるピンクの箱が素敵でした。

バラとリンゴのフレーバーティーは、NINASがルイ14世の時代からずっと管轄している「王の菜園」で採れたものを使っているそうです。
この菜園では、当初の固有種をそのまま守っていて、学術的にも大変価値のある植物園とのこと、いつか行ってみたいですね。
6月24日(月)
村田孝高です。
明日は理代子さんが東京の学士会館で、「舞踏会??」があるので、私は車にドレスを積んでいくことになっています。
湯山玲子さんとのトークあり、バロックダンスの浜中康子さんのダンスあり、何やら楽しそうです。
それに、マリー・アントワネットの紅茶を出しているNINASから、理代子さんが何やら賞を受けるらしいです。
全部「らしいです」だけですみません。
昨日は、女優の夏樹陽子さん、いつも演奏会にお越しくださる貴婦人、我らの力強い応援団長の森家さんが熱海までお越しになりました。
来宮のテンポ・ドーロで昼食をご一緒して、我が家で賑やかな女子会。
私は楽しく拝聴しました。


嬉しいことに、お風呂にまで入ってくださいました。
生憎のお天気でしたが、海を見ながらの大浴場を経験していただけたのは嬉しかったです。
女性四人の存在感は、圧倒されるようでした。

6月21日(金)
池田理代子です。
うちの中が漸く片付きつつあります。
この機会に、もう30年くらい使っていて、猫に引っ掛かれて中身がはみ出してボロボロになっているソファを取り換えることになりました。
きっとこれまでいらしたお客様は「この人なんてソファを使っているんだ」と内心呆れていらしたことでしょう。
そう言えば、日本を代表するピアニストの中村紘子さんのお宅にお邪魔するたびに、凄く広いリビングのソファが、犬と猫に引っ掛かれてボロボロで、でも彼女はきっと、「猫ちゃんたちが遊ぶんだからいいのよ」くらいに考えていらしたんじゃないかな、と想像していました。
実は私も、「可愛い猫ちゃんが引っ掻いたんだから別にいいのよ」とずっと思ってきました。
お気に入りのソファの一点ものだっただけに、処分できなかったのですが、家の中を片付けてみると、あまりな傷み具合に改めて驚かされたという訳です。
ソファを大型ゴミに出す日、私が悲しむと思い、私に黙って村田が処分場まで軽トラックを借りて運んで行ってくれました。
気遣いが有難かったです。
何もないがらんどうの室内は、本当に広いものですね。
向こうに広々と海と岬が見えるばかり。

今このあたりは、雛たちの巣立ちの時期で賑やかです。
トンビも燕もイソヒヨドリもカラスも、みんなよたよた飛びながらときどき「おかあさーん」と呼んでいるみたいに幼い声でさえずりまくっています。
実は私の寝室の前の鉄塔の上に、何かしら小さい鳥が巣を作っていました。
頼りなげな枝など一生懸命運んで来ていたかと思ったら、この間、巣立ちする気なのか親鳥の半分位のおおきさの雛がぽつんと巣の横に留まって居ました。
残念ながら写真には取りはぐれましたが、鉄塔のてっぺんに渡された木の上に、貧弱な巣が残っています。

一昨日は慶応大学MCCという教養講座で、丸ビルまで行ってきました。
一般聴講の女性も多かったのですが、大きな会社の偉いおじさんたちも多くて、緊張しました。
実は東京に31歳から住んで40年間、丸ビルを訪れるのは初めてでした。
「皆さん、ご存じない方は、丸ビルと言うと丸いビルだと思われるんですよ」と担当の女性が笑っていらっしゃいましたが、はい、実は私もずっとそう思っていました。

帰りに新幹線に向かう地下で迷ってうろうろしていたら、さっき聴講してくれていたファンの方とばったり会い、写真を撮りました。
だんだんお上りさんの具合が増していきます。
6月17日(月)
村田孝高です。
昨日、本日と、熱海は好天に恵まれています。
特に昨日は、風がやたら強かった以外は、雲一つない青空でした。
こういう日は、もしかして富士山が見られるかもしれないと思い、起きてすぐに出かけました。
まず、「多賀蕎麦」によって腹ごしらえ。

こんなに食べ散らかしてしまってから、気が付いて写真を撮りました。

庭の緑も濃くなって、気持ちがいい季節です。

蕎麦を食べていたら、何と偶然にも、あの3月5日のサントリーホールの『荘厳ミサ曲』を聞きに来てくださっていたという女性がご挨拶に。
しかも、ご友人が合唱で、理代子さんの隣に立って歌っておられたそうです。
不思議なご縁です。
食事後十国峠まで行ったり、函南の山に行ったり、ついでに三島まで足を延ばしたりして、見事な富士山を堪能しました。

富士山というのは、自分で雲を作り出すんだね。
暫くほったらかしていた、雨で汚れた窓もきれいにし、たまった粗大ごみの整理もし、使った衣裳などもクリーニングに出し終えました。
色々と夏から秋、来年の年明けにかけて舞台が続いていますが、それでも「次回のリサイタルはどうしようか」ということが考えられるくらいに気持ちが復活してきました。
今年のプログラムに組み込めなかった曲を、引き続き勉強する予定です。
6月13日(木)
池田理代子です。
村田孝高の第四回リサイタルには、大勢の皆様が、雨にもかかわらずお運びくださいまして、本当に有難うございました。
お陰様で、無事にリサイタルを終えさせていただき、熱海に帰り着いてほっと一息ついているところです。
家の中はまだ衣装やら小道具やらでひっくり返っているような状態ですが、それも少しずつ片付きつつあります。
『トスカ』の舞台で使用したソファと燭台を、ピアノのある音楽室に置いて、村田本人は「スカルピアの部屋」と称して悦に入っています。

あの日、客席に来ているはずの友人の顔が舞台から見当たらず、何となく不安な気持ちに襲われたそうですが、公演終了後に、彼が急死したとの知らせを受け、大変なショックを受けていました。
まだ四十代半ばで、つい一週間前にも会ったばかりの友人だったそうです。
熱海に帰り着いた翌日には告別式のために東京へ飛んでいきました。
良く体も鍛えスリムだったその友人の突然の死に、集まった人たちも涙も出ないほどの衝撃だったそうです。
ご両親には、ディナーショウなどにもおいでいただいたことがあり、私もお会いしたことがありますが、何という痛ましいことでしょうか。
逆縁だけはしてはいけない、最大の親不孝だと思っていた私は、両親を見送ったときに真っ先に思ったことは、「ああ、これで私がいつ死んでも逆縁にはならない!」という安堵感でした。
あれから村田も自分なりに色々と考え込んでいるみたいで、ちょっと家の中が湿っぽいです。
昨日の熱海は、家のすぐ近くまで大変な量の赤潮が押し寄せました。
そこに向かって、普段はとても見られないほどの何十羽という鴎が押し寄せ、それにトンビや鵜やカラスまで加わっての大饗宴でした。

赤潮は、夜になると素晴らしい光の饗宴となります。
波がしらの崩れるたびに、青色のLEDライトのような光が発生しては移ろい崩れていく様は、都会のライトアップなどとは比べ物にならない幻想的な光景です。
波に乗って動かされると光を発するプランクトンがいるのだそうです。
いつの間にか、駐車場の大きな紫陽花が花を開いていました。

連日曇りや雨が多いですが、時折差す陽の光に映える緑の滴るような眩しさが、心を癒してくれます。
引きこもり気味の私でも、そろそろ散歩でもしようかなと、思わず誘われるような季節になりました。
大浴場へも、景色の見える明るい時間に通うようになりました。
6月10日(月)
村田孝高です。
7日の王子ホールでのリサイタルを無事に終え、熱海に帰って参りました。
この日東京はあいにくの大雨で、売れていたチケットよりはお客様の数は少なめでした。
皆さん足元のお悪い中、それでも私のリサイタルにおいで頂きまして、本当に有難うございました。
沢山のお祝いやお花もいただき、会場を賑やかに飾ってくださいましたこと、心からお礼申し上げます。

第一部の歌曲では、自分で???な部分があり、少々焦ったりも致しましたが、第二部の『トスカ』抜粋では、共演の羽山弘子さんや合唱の皆様のお力添えもあって、大変難しいスカルピアを無事に歌いきることが出来ました。


帰り着いて、皆様へのお礼の電話やメールを少しずついたしておりますが、本当は、会場においで下さったすべての皆さんに、お礼を申し上げたい気持ちでいっぱいです。
写真も追々整理して、アルバムの方にアップさせて頂きますので、楽しみにお待ちください。
皆さん、本当に有難うございました!!
2019年6月3日(月)
池田理代子です。
早くも六月ですね。
いつものことながら、なんという時間の流れの速さでしょうか。
そして、今週はもう直に7日に、村田孝高バリトンリサイタルがやってきます。
二年に一回続けてきましたが、二年という歳月も、あっという間にやってきました。
今年は会場が銀座の王子ホールということもあって、チケットのお申し込みも順調に頂いています。
今日になっても、駆け込みでのお申し込みもありました。
当日チケットの販売も致しますので、ふと思い立って銀座に行ってみようかな、という方も大歓迎ですので、是非会場を覗いてみてください。
先日は身内の仏事があり、府中のホテルに前泊して多摩霊園まで行ってきました。
泊まったホテルのロビーに、何故かラグビーホールとグッズが。

多摩霊園には、私の恩師・東敦子先生が眠っていらっしゃいます。
先生にお花を捧げたいと思い、カラーのお花を用意して墓所を探したのですが、残念ながら見つけることが出来ませんでした。
先生が帰天されて、早くも二十年が経ちました。

ところで、私の住んでいる熱海のこのマンションの上を、毎日定刻に、オスプレイが飛んでいきます。
近づいてくると、普通のヘリなんかとは全く違う、部屋全体が振動するような音でわかります。
今日は、二機が轟音と共に通り過ぎて行きました。
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