2020年08月17日

戦後75年

8月17日(月)
村田孝高です。

昨日は、ちょうどうちのベランダからは真向かいの、網代の花火でした。
2020.8.16網代花火
先日の多賀の花火が、迎え火で、昨日の網代の花火は送り火と言うことです。
篝火がたかれ、三か所からの海上花火で、それはそれは送り火に相応しい豪華なものでした。
2020.8.16網代の花火
今日は、小田原ヒルトンでのテニスの日。
毎日歩いているおかげか、だいぶ体が動くようになってきましたが、そのせいか、一時間半のレッスンの終わりごろに、軽い肉離れを起こしてしまいました。
水分は十分に取っているつもりでしたが、出る汗の方が多かったようです。

毎日歩いていると、色々な景色に遭遇します。
2020.8.14長浜です
先日は、東の海上の雲に西日が映って、しかもそれが海にまで映り、見たこともない光景に出会いました。
東の海なのに2020.8.13
美しいものだけではなくて、道端には、沢山のマスクが捨てられたりしています。
閉鎖している神奈川の海水浴場に、勝手に押しかけている人たちが、夥しいごみを遺していくと、地元の人たちが困っているそうです。
日本人は行儀が良くて、清潔好きで・・・なんて、世界の人たちは思っているかもしれませんが、現実を見る限り、それは幻想にすぎないという気がします。

時節柄、太平洋戦争に関するドキュメンタリーが多く放送されています。
最近になって新しく発掘された資料も多く、色々とみていると、日本の政府と軍部は、まったく自国民のことに心を砕いていなかったということがよくわかります。
何と言っても、広島の原爆だけでは足りなくて、長崎にも原爆が落とされたその後でもなお、御前会議で、政府と軍部の、全面降伏に対する意見は五分五分だったということです。
広島・長崎の後でもまだ、国民を犠牲にしようという意見があったなんて!

あれでも日本が降伏しなければ、次の三発目は、東京に落とす予定だったらしいです。

無差別の大量虐殺兵器を使用した、アメリカの罪を、我々はいつも言いつのりますが、実は日本でも、原爆の開発を試みていて、もし完成していたら、西海岸の大都市に落として30万人を一気に殺す計画があったということは、忘れてはならないと思います。
原爆は、先に開発した国が、きっと必ず使ったに違いありません。

しかし、75年が経った今でも、自国民を大事にしない政府であることに変わりはないなと、愕然とします。

posted by riyoko at 16:24| Comment(0) | 日記
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