1月8日(日)
池田理代子です。
皆様は、どんなお正月をお過ごしになられましたでしょうか。
コロナ禍やウクライナ情勢などのニュースを目にするたび、今年こそは・・・と祈らずにはいられませんね。
私は昨年、下りエスカレーターで転んで後頭部を打ったり、テニスの稽古で調子に乗ってサーブの練習をやってまた転んで後頭部を打ち右手首を捻挫・筋肉断裂を起こしたりと、散々な年でした。
今年は、自分の歳を考え慎重に動くようにします。
昨日は、七草かゆをいただきました。
お粥はやっぱり胃に優しいですね。
今年の初仕事は、漸く鉛筆が握れるようになったので、昨年できなかった版画へのサイン入れです。
私の寝室の窓のすぐそばに、小さな森があるのですが、起きて窓を開けると、木に住んでいる小鳥たちが一斉にさえずり、飛び回ります。
「あいつ起きたぞ」と呼びあってでもいるのでしょうか。
その声や姿が、私の一日の活力となっています。
昔、まだ20歳で大学に通っていたころ、手乗り文鳥の雛を一羽飼っていました。
雛には、頻繁に挿し餌をしてやらねばならないので、実は、大学の授業にも隠れて連れて行って、「ぴぴぴ・・・」と泣き始めたら急いで机の下でさし餌をやって育てていました。
その甲斐あって、すくすくと育ってよくなつき、『ベルサイユのばら』を書いていたころも、成るべく籠から出してやって家の中を自由に遊ばせていたのですが、漫画を描いているペン先にじゃれ付いたり、原稿を咥えて引っ張ったり、私の髪の毛を滑り台代わりにして滑り降りて遊んだり、それは活発で良く懐いた子でした。
しかし、家の中はあっという間にフンで白くなってしまいましたけどね。
ぺーちゃんと名付けたこの子は、本当にまるで犬とか猫のように私にまとわりつき、私を癒してくれました。
11歳まで長生きし、最後は眠りながら大往生を遂げました。
また手乗り文鳥を育てたいとは思うのですが、最近は、鳥インフルエンザの問題が起こってから、生まれたての雛も売ってはいません。
それにきっと、あの子のように人間に懐く子にはもう会えないだろうなと思っています。
大相撲初場所が始まりました。
佐渡が嶽部屋の琴ノ若がようやく三役入りし、嬉しさでいっぱいです。
初場所がくると、ああ、新しい年が来たな・・・と実感します。
全然鳴いたりじゃれて遊んだりしなかったぷにちゃんが、六歳になったこの頃、漸く猫らしくじゃれたり鳴いたりするようになりました。
心なし、アイコンタクトで会話もできるようになった気がしています。
猫でもそれぞれにこれだけの個性があるのですね。
まして人間においてをや。
今年は四月十七日に国際フォーラムで、恒例の『バチカンから日本へ』のチャリティコンサートが開かれます。
昨年に増して、多くの皆様からの参加お申し込みをいただいており、嬉しさでいっぱいです。
新しいお知り合いもお誘いいただいていて、皆様にお会いできるのが楽しみです。
年とともに、この機会が、昔の『真夏の第九』メンバーとの同窓会のようになってきました。
でも、鬼籍に入られた方、入院中の方の消息などを確認する場ともなり、時の流れの過酷さを確認してもいます。
なるべく多くの昔の仲間たちと顔を合わせることが、とても楽しみです。
おっと、その前に1/25日の青島広志先生との表参道でのコンサートもあり、稽古をしながら、おいで下さる皆様のお顔を拝見できるのを、今から楽しみにしています。
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