9月19日(火)
池田理代子です。
お彼岸も近いというのに、まだまだ暑いですね。
皆さん体調は大丈夫ですか?
先日は、きゅりあんでのオペラ『男も女も皆こうしたもの』に、暑い中をおいでいただき、本当に有難うございました。
おまけに二日目は、豪雨と雷でした。
私はぼんやりで、「特別ゲスト歌手として出てください」と言われたのを、一回だけ歌えばいいと思っていたら、何と、二日間の昼夜公演で、本番は四回、それにゲネプロも二回、場当たりも二回で、合計八回歌うことになっていました。
しかも、きゅりあんは楽屋から舞台までエレベーターがなく、長い階段をせっせと上り下りして歌うので、心臓が破裂しそうでした。
私が歌った、プッチーニの『蝶々夫人』から「ある晴れた日に」を、二期会の大御所・菅野先生がとても褒めて下さり、本当に嬉しかったです。
青島先生なりの翻案で、レズの話に変えられていましたが、私は別にそういうことに偏見はありませんが、途中に色々とモーツァルトのものではない歌や音楽が入り、中でも二葉百合子さんの『岸壁の母』を、おふざけで歌わせていらしたのには、ちょっと心にとげが刺さりました。
それと言うのも、私の父は、終戦の1945年八月に、激戦地の南方から戻ってこなかった兵士だったからです。
それから二年して、捕虜となった父は、生きて日本に復員しましたが、私が生まれた時には、顔も見ぬ祖母は亡くなっていました。
父は果たして祖母に生きて会えたのかどうか、父は私に、祖母の「理代」という名前を付けたのです。
あの頃、どれほどの「岸壁の母」が、帰らぬ息子を、もしやもしやと思って待ち続けたことか、それを思うと涙が止まりません。
そういうことをギャグとして使うのは如何なものかと、とても心が痛んだ次第です。
私の楽屋は、あの宝塚でアンドレをなさった大和悠河さんとご一緒で、びっくりするほど気さくでお心遣いのある方で、すっかり意気投合いたしました。
しかも、本格的にオペラの勉強をなさっていて、音大を出た人でも難しい高いEsの音もお出しになるソプラノさんで、これからどんどんお上手になられるだろうと、楽しみなことでした。
私は年末の12月20日に、恒例の掛川での榛葉さんのオペラディナーショウで『ラ・ボエーム』のミミを歌い演出もやる予定ですが、もう一人まだ決まっていなかったムゼッタ役に、彼女に声をかけてみました。
そうしたら、歌ったことがおありだとのことで、とんとん拍子にその場で話が決まりました。
とても美しくてお顔の小さな素敵なムゼッタです。
ボエームのお稽古を始める前に、10月13日、東京は神楽坂の音楽の友ホールで、榛葉さんのリサイタルがあり、村田も歌わせていただきます。
ピアノ伴奏は何と贅沢なことに、岡崎ゆみさんです。
いくらなんでもその頃には少しは涼しくなっていることでしょうから、どうぞ皆さまお誘い合わせてお越しください。
これから、皆さんにご案内を出させていただきます。
きゅりあんでの公演の疲れがまだまだ抜けていませんが、明日20日には、東京・麻布台にある「アメリカンクラブ」で講演をさせていただきます。
私の講演の後には、岡崎ゆみさんと村田孝高のコンサートもあります。
そのすぐあとの23日土曜日には、かなっくホールで、村田が歌うチャリティコンサートがあります。
意義のあるチャリティですのでこちらの方にも、お時間のある方は是非どうぞ。
広島の村田の母が、こんな写真を送ってくれました。
お庭に咲いた「ベルサイユのばら」の花の中で、ちっちゃなカエルさんが暑さを逃れていました。
可愛いですね。